この前、松宮先生のblogのコメントとして「法解釈手法・私の視点」を書いた。
先生と私の違いは、どの部分にウエイトを置くかの違いだと思う。私は「解釈の複数可能性」にウエイトを置いている。もちろん、全ての主張を認めるのではない。明らかに成り立たない説は捨象されるべきである。 私が「解釈の複数可能性」にこだわるのは、法律学の性質上、そうならざるを得ないからである。立法者は、法の文言に、ある程度の「幅」をもたせているような気がするのである。そう、「答えはかくあるべき」と考えているとは限らないように思えるのである。欠陥と言えば欠陥だが、あらゆる事態に対処するという意味では、人間の知恵でもある。 また、「絶対的真理」というものを発見していく過程では、どうしても主観が入らざるを得ないのではないか。時代背景、価値判断、結論の妥当性などである。時代をどう捉えるか、妥当な結論は何かなど全て主観である。そう考えると、「答えは1つ。あとは全て誤り」と言うのは躊躇を覚えてしまうのである。 そういう限界がある以上、解釈の複数可能性を認めて、みんなで自由に議論していくのが法律学のあるべき姿だと、私は思っている。そして、自由な議論こそが、法律学の発展に寄与しているのではないか。「カリスマ」「権威」が現れて、それにみんなが従うという姿勢は、決して正しくないと思っている。
by meronpanss
| 2006-05-26 14:59
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