友人からのメールに触発されて

大学学部時代の貴重な友人からメールを頂きました。昔の友人からメールをもらうのは、大変うれしいものです。
メールによりますと、広島に行き、原爆ドーム等へ行かれたそうです。

それで思い出したのですが、私も学部時代、広島に1人旅に行きました。そのときに別の場所で書いた文章の一部を引用して、友人への感謝の意を表したいと思います。
(もちろん、メールには後でちゃんと返信しますので、ご安心を>Kさま)
大学学部時代に書いたもので、不十分なところもありますが、ご容赦下さい。

タイトル「ヒロシマ」
「私はこの夏、広島に旅行した。暑い夏の日、広島の地を歩いた。
 原爆ドームを実際にみた。写真では何回もみたことがある。しかも、私は生でみたのもこれで3回目である。それでも、今、実際にみて、何か感じるものがあった。それを表現できない自分のもどかしさを今も恥ずかしく思う。
 原爆ドームの近くには川が流れている。被爆者が、水を求めて、この川に次々と飛び込んだことは想像に難しくない。57年前とはいえ、川の水は決してきれいだったとは言えないだろう。それでも、多くの人が飛び込んだのではないだろうか。「最後の望み」にかけて・・・。
 原爆ドームから歩いて5分ぐらいすると、「平和記念資料館」がある。正直、そのボリュームに圧倒された。遺品や残骸の一部や被爆者の写真が展示されている。単なるガラスの破片にも、私の目は注がれた。ここにある展示品の1つ1つに意味があり、重みがある。印象に残ったものは、被爆後の広島市内の写真である。被爆によって全ての建造物が破壊されたせいで、町並みが一望できてしまう。その写真に私は言葉を失った。
 今、自分が歩いている地(広島)で57年前、多くの市民が被爆にあった。その時、市民は何を考えたか。いや、「考える」という「人間らしい」行動する時間もなかったのではないだろうか。まさに、「核」は「人間」から「人間らしさ」を奪った。
(中略)
 ところで、私は原爆ドームをみて、不思議に思ったことがある。それは、原爆ドームが「反核・平和のシンボル」になっていることである。少なくとも、憎しみのシンボルではない。日本人はそれが当然のことと思うかも知れない。しかし、世界レベルで物事を考えてみると、不思議である。もし、アメリカに核が投下された場合、そこに残った建物は、決して「平和のシンボル」にはならないだろう。ナショナリズム高揚のための場所となるであろう。現に、残忍なテロの犠牲となった世界貿易センターの跡地は、決して「平和」のシンボルにはなっていない。むしろ、「憎きテロ」、「憎きタリバン」、そして、アメリカ人のナショナリズム高揚のためになっている。パールハーバーは、今も決して「反侵略戦争」・「平和」のシンボルとはなってはいない。今も「憎きジャップ」の象徴である。
そして、被爆者の声も同様である。「核のない世界」、「平和のある世界」を望む声は常に被爆者の方々か聞く。今回の旅行でも聞いた。しかし、「アメリカ憎し」を全面に出される方はいない。その高貴な考えは、どこから生まれてくるのだろうか。一方で、被爆者以外、さらには、戦争非経験者から「原爆を投下したアメリカに鉄槌を!」と聞かれることの方が多い。みなさんの中で、そう思っている方も結構いるだろう。
 時間は皮肉である。被爆者の「生の声」を奪っていく。いずれ被爆者はいなくなる。そして、そこに残るのは、「アメリカ憎し」だけかもしれない。「親米」の日本政府の一方で、「反米」の論調は強まりつつある。アメリカ押しつけ平和憲法に反発する「右」とアメリカ式資本主義に反発する「左」がいずれ協力したとき、「反米」へのベクトルは相乗効果を生むだろう。
(後略)」
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by meronpanss | 2006-11-25 22:48
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